2025年の記憶


健康は保たれていて、仕事も自分なりには良好であり文句はないが、旅行もしていないしゴルフも低迷していて、多くが100以上だったなど、ぱっとしない年だった。何とか記憶に残っていることを挙げると、次のようになる。


1. 熊・ドジャース

多くの日本人の感想と同じです。熊については、湯沢の町中の民家に3日間立てこもり、TVでも全国ニュースで何度も報道された。東京にいる忠夫君によれば、湯沢といえば東京の人はスキー場と温泉の里(川端康成の「雪国」の駒子のふるさと)、越後湯沢だったのが、今年は熊のおかげで、ここ羽後湯沢になったとのこと。

 身近な例でいえば、実物は見ていないが我が家の近くに柿の実を食べに熊が来た可能性が高い。詳細は省略しますが、その日から愛犬「ロン」が自分の小屋から全くでなくなったことが傍証です。

 ドジャースについては、大リーグをあまり見ない私も、ポストシーズン、ワールドシリーズは熱狂しました。日本選手の3人、みな素晴らしかった。ドジャースをTVで観戦しているうちに、ロサンゼルスのことを知りたくなり、その流れで映画「La La Land」を遅ればせながらみて陶酔と感傷にひたったのもいい思い出です。

    (La La Land. City of Stars. 最高!))

 2.
神馬恒昭君のこと

10月に急逝しました。羽後町の多くの人たち、そして私も大変驚きました。

彼とは40代のころ何度も酒を飲んだりゴルフをしたりしました。近年も互いに患者さんを紹介して、身近に感じていた人でした。やや個性的なやつでしたが、根はやさしい男だった。小さいときに父親を亡くし、経済的にも苦労した少年時代があったとは、能代高校の同級生三田重人君から聞いた話です。そんなこともあって、お母さんをとても大切にしていた、これについては本人からも聞いたし、周りの人からも聞いていました。

 もう十年は働けたはず。残念でなりません。

 (続く)

 

 

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