2025年の記憶
健康は保たれていて、仕事も自分なりには良好であり文句はないが、旅行も1度しかしていないし、ゴルフも低迷していて多くが100以上だったなど、ぱっとしない年だった。何とか記憶に残っていることを挙げると、以下のようになる。
その前にもうひとつ-------。この頃時々思っていること、,生と死についての考察も下に付け加えておきます。
私のお客様(患者さん)のおそらく半分は、75歳以上の後期高齢者であろう。今まではそういう人たちを前にして、よく言ってたものだ。「後期高齢者なんて、厚労省が勝手に決めた言葉だ、今の時代は70代、80代でも生きている限りはみんな元気なんだから、こんな言葉にだまされないで、元気に生きていきましょう。」
それはそのとおりと今も思っているが、一方では-----やはり75歳あたりって、老化や人生の終わりを強く感ずる特別な境目なのかもしれない-----、と思ってしまう。年代が近い肉親、知人、友人が亡くなり始めたり、体力の衰えを時おり感じたりするときに。
小学校の頃から寝床の中で時々思っていた。親が死んでしまったら、永遠に会えなくてさみしいな、いや、自分が死んだら永遠に存在しないのだから、虚無はこわいな。
そして、中年の頃はこう思っていた。生を受ける前の「永遠」をさみしく思うことはないのだから、自分の死の後の「永遠」を怖がったり残念に思う必要もないのではないか。
そして、後期高齢者の入り口まで半年の今は、次のように考える。人生の前の永遠と人生の後の永遠、その中間にある生、これはとても特殊な状態なのだ。生き物も物質である。そして物質の自然なあり方は、バラバラな分子であり、土や、空気や、星などであろう。生とは、この世、この宇宙の中で、分子が特別に組織だって構造されたり、代謝をしたり、意識を持ったりで、短い期間の本当に特別な状態なのだ。だからこそ、一つの生は必ず終わるのであるし、その後の永遠の中で存在はしない、意識を持たないのは、全くの真理である。それに何の悔いがあろう。
基本的に私は気が弱いので、以上のようなことを考えて、つじつま合わせしているのかもしれない。きっとそうだ。でもだからこそ、この一度の生は大切にしていかなければいけない。さらにはそのためには、生の基盤であるこの社会が好ましいものでなければならない。そのためには、政治も歴史認識も環境も大切だ。そんなふうに思っています。
1. 熊・ドジャース
多くの日本人の感想と同じです。熊については、湯沢の町の中の民家に3日間立てこもり、TVでも全国ニュースで何度も報道された。東京にいる忠夫君によれば、湯沢といえば東京の人はスキー場と温泉の里(川端康成の「雪国」の駒子のふるさと)、越後湯沢だったのが、今年は熊のおかげで、ここ羽後湯沢になったとのこと。
身近な例でいえば、実物は見ていないが我が家の近くに柿の実を食べに熊が来た可能性が高い。詳細は省略しますが、その日から愛犬「ロン」が自分の小屋から全く出なくなったことが傍証です。
ドジャースについては、大リーグをあまり見ない私も、ポストシーズン、ワールドシリーズは熱狂しました。日本選手の3人、みな素晴らしかった。ドジャースをTVで観戦しているうちに、ロサンゼルスのことを知りたくなり、その流れで映画「La La Land」を遅ればせながらみて陶酔と感傷にひたったのもいい思い出です。
(La La Land. City of Stars. いい歌!))
10月に急逝しました。羽後町の多くの人たち、そして私も大変驚きました。
彼とは40代のころ何度も酒を飲んだりゴルフをしたりしました。近年も互いに患者さんを紹介して、身近に感じていた人でした。やや個性的なやつでしたが、根はやさしい男だった。小さいときに父親を亡くし、経済的にも苦労した少年時代があったとは、能代高校時代の彼の同級生三田重人君から聞いた話です。そんなこともあって、お母さんをとても大切にしていた、これについては本人からも聞いたし、周りの人からも聞いていました。
もう十年は働けたはず。残念でなりません。
3. 日本海と青森の夜と夏泊
4月のゴールデンウイークに、日本海岸をずっと通って、青森に行きました。中学の野球部仲間4人でです。(with鈴木、白土、松田)
八森、岩舘、深浦を通って鰺ヶ沢から内陸に入り木造、五所川原から青森に着きました。
まだ4月で海辺の人波は少なく、落ち着いた静かな日本海でした。深浦を通って以北の道は
通ったことがなかったので、西から見る岩木山もきれいでした。
青森駅の周辺を歩き回りました。約50年ぶりのその場所の散歩でしたが、店はあるけど
昔よりはさびれた感じ。函館に行くのに青森市経由ではなくなったからなのでしょうね。
青函連絡船の内部も一周しました。なつかしかった。(15歳と19歳のときに乗っています。津軽海峡冬景色の歌碑で歌をきいた後、青森の夜はまずまずでした。
翌日は早く起きてゴルフ場のある夏泊半島の先端に急ぎました。天気はいま一つで、スコアも最悪でしたが、リンクスのゴルフ場は雰囲気がありよかったです。
以上の旅程はすべて忠夫君の計画であり、車の運転の大部分も彼がやってくれました。
ありがとう。
4. 2025年の中での本
★ 日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実 吉田裕 中公新書2017
★ 続・日本軍兵士 帝国陸海軍の現実 吉田裕 中公新書 2025
戦争史はふつう、俯瞰的な視野で書かれ述べられることが多い。戦争になる前状態や戦争の原因、個別の戦闘の大略や終息への過程などなどである。例えば、
★ W・チャーチル 第二次世界大戦 1,2 みすず書房 2024
★ The First .World War. a complete histry . M.Gilbert 1994
あるいは戦史ではないが、
★ 夢遊病者たち 1、2 第一次世界大戦はいかにして始まったか
C.クラーク みすず書房 2017
★ エリック・J・エブズボーム 帝国の時代(1,2) 1875-1914、野口s訳 みすず書房 2023
★ エリック・J・エブズボーム 20世紀の歴史 両極端の時代 上・下、大井訳
ちくま学芸文庫 2018
一方、吉田裕氏の研究・著作はいわば、戦闘する兵士そのものの視点からのものといえる。俯瞰的な視野はもちろん大切である。しかし、戦場に生きる兵士----殺し、殺され、傷つけ、傷つけられ、略奪し、逃走するなどの様子や統計は、詳しく述べられることは少なかった。戦争の現実そのものであり、できれば多くの人間にとって、目をそむけたくなるものであり、生きて帰ってきた兵士にとっては、早く忘却したくなる事柄であるからだ。
そんな現実を注視したうえで書き残すことは、昨今の右翼にとっては百害あって一利もないものだろう。戦争忌避の念がいやがうえにも高まるから。
しかし戦争が終わって80年たった現在の日本では、戦争の現実を身をもって体験した人間は残り少なくなり、戦争を生ぐさい血と殺し殺される苦痛と苦悩で連想しないで、あたかも自分が兵隊を使う大将のような概念的な頭でとらえる人間が増えているのではないかと、私などは危惧している。大将ならそれでいい、しかし圧倒的多数の人間は、そんな立場とは無縁の一平民である。
ネトウヨが忌み嫌うような著作をさらに挙げようか。
★ 南京事件 笠原十九司 岩波新書
★ 南京事件・新版 笠原十九司 岩波新書 2025
笠原氏は南京事件の研究をライフワークにしているまともな歴史家である。
吉田氏の本も笠原氏の本も、一人でも多くの日本の若い世代の人たちが読んでほしい、と私は思う。
私は十年前ごろ、アパホテルがいかなる所か知らないで大阪で一泊したが、部屋には昔のように眠るための宗教書がおかれているのではなく、南京事件はなかったみたいな小冊子が置かれていた。驚きました。誰が書いたのか知らないが、これに影響されて信ずる人も少なくないのだろう。どうせ歴史専門家ではない、渡部某(故人)か百田某みたいなしろうとが書いたのであろうが、まともな歴史家の中で、南京事件がなかったとのたまう人間は日本においても誰もいないはずである。
笠原氏の著書によれば、南京事件について、歴史改竄的な言を弄し、中国人の生き証人に対して侮辱的な本を書いた、松村俊夫、および東中野修道は、各々、名誉棄損罪で日本において訴えられ、両者とも最高裁でその罪状で有罪と判決されて、、150万円と400万円の罰金を言いわたされている。
こういう歴史改竄者たちは、正しい歴史を書くことが目的では毛頭なく、自国の人々に対し、自らがもつ(たとえ自らは正しいと思っているにしても)、歴史への感覚を間違った方向に誘導することを目的にしているのであり。その流れにあって、安倍晋三らが主導した自民党政府の「統一的見解」とは、「南京で行われたのは、通常の戦闘行為以上でも以下でもでもなかった」、というものである。こうして、2014年には文部省が教科用図書検定基準の改訂を行った(詳細は省略)。
もともと日本では近現代史の学校教育がきちんと行われてなくて、多くの国民が特に昭和史に関して無知に近かった。それに輪をかけて、安倍政権以降は特に昭和史の負の面の教育がおろそかにされ、おそらくいまの20代、30代の若者たちの知識は、まずい状態になっていると推測される。
一方、中国では中学校などで日中戦争のことが今も詳しく教えられているときく。当然である。けんかや戦争でやられた側は、いつまでもその内容を覚えているし、忘れてはいけないという気持ちが続くはずだ。(1945年にアメリカに負けた日本は、中国からも撤退し、勝負でいえば中国が勝ったわけだが-----、だから今も国連では中国が常任理事国である----、犠牲が多かったのは圧倒的に中国の方だった。日本軍の諸々が残虐性にとんでいるが--------、
★ 日本軍の治安戦 笠原十九司 岩波現代文庫2023
死者数でいえば、日中戦争で日本の軍人.軍属は約46万人、一方中国人の将兵と民間人の死者は一千万人を超えるといわれる。)
自国の歴史については、負の面を含め国民の多くが正しい認識を持っていなければ、隣国との良好な関係を保てないのはあたりまえのことである。
日本の首相が2025年11月に、中国に関して無神経極まる発言を国会という公の場で行ったが、私からすれば中国が怒るのは当然である。そんな中でもその首相の支持率が各世論調査で60%を超えるこの国の感覚、安倍晋三たちの目的はこうして成就された。おめでとう。でも本当に世界・アジアのことがわかっているのですか??
なお、話は変わり念のために言えば言えば、私は戦争で戦った日本の将兵を見下したりするも者ではもちろんない。その時代の中で、最善に懸命に生きた人々については敬うべきだし、後世の我々は深く首(こうべ)をさげなければいけない時もあるだろう。
★ 戦士の遺書 半藤一利 、ネスコ、 1995
これはM君からいただいた貴重な本である。
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★ マーラー 吉田秀和 河出文庫 2011
(私は音楽について全然詳しくない。吉田氏の本の中の楽譜をみてもメロディーは浮かばないし、聴いた音楽もとても少ない。なお、今はほとんど聴かない。耳の問題があるし、音楽に没頭する気にもならないから。でも、マーラーは好きだし、吉田氏の諸々の文章も愛する。)
年末に本棚で別の本を探していたら、この本があり少し読むはめになった。この本をいつ買ったのかも全然覚えはないのだが。
氏は別の本ではマーラーを評価していなかったと思う----[名曲300曲」という3百余ページの本にはマーラーには2ページしかさかれておらず、選択されたのは「大地の歌」のわずか一曲である。(氏40歳代の著作))
ところがこの本(文庫本で約200頁)では至る所、マーラーへの讃歌がうたわれている。意外だった。
マーラーの音楽、「崇高から卑俗さまでの幅が極めて狭い」----カラヤンの言-----,
そして吉田氏の言葉では、「大真面目な正面きった悲壮で崇高な音楽と、彼が子供の時チェコの片田舎できいて以来、心の奥まで浸透し、巣食っていた大道芸的庶民的通俗音楽やら軍楽やらの響きが、隣り合わせみたいな密接な関係でつながっていた」、そういう音楽である。
第5番の出だしなど、軍楽のラッパみたいだし、第4番のあるメロディーは、卑俗そのものかもしれない。そんな音楽はまじめに聴くにもならない、という人がいても不思議ではない。
しかしマーラーの評価が一定の落着きをみた現代、晩年(50歳前後)の彼の音楽の崇高性と新しさ・創造性を評価しない人は皆無と思われる。おそらくは1970年頃までは少々辟易していた吉田氏も、この本では(氏が60歳、1973年の文章)、大地の歌と、第9番と第10番に三つについて次のように書いている。これらは、「この人が人類におくった最も美しく、最も充実した財宝」であると。そして言うには、度重なる悲しみ、最愛の娘の死や才色兼備の若き妻アルマの婚外恋愛、そして自己の決定的な病気(私の診断では大動脈弁閉鎖不全症で最後には亜急性心内膜炎と心不全)その危機の中で、「生活のすべてを音楽の創造の一点に集中しえたという、その事実に、感銘を受ける。こういう人間が、かつて生きていたと知るのは、少なくとも私には、人類という生物の種族への、一つの尊敬を取り戻すきっかけになる」、と最大の賛辞を送っている。
★ 人生後半に読みたい秀歌 永田和宏 朝日新聞出版 2025
★ 外岡秀俊という新聞記者がいた 及川智洋 田畑書店 20245
★ 文学は何の役に立つのか 平野啓一郎 岩波書店 2025
★ ドナルド・キーン自伝 角地訳 中公文庫 2011
★ 核抑止論の虚構 2025、集英社新書
★ 戦後の終焉 保坂・白井 朝日選書 2025
★ 令和ファシズム論 井出栄策 筑摩書房 2021
★ 日本の右傾化 塚田穂高 編 2017
★ 日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ 山内・細谷 編
中公新書 2019
★ エリック・J・エブズボーム ナショナリズムの歴史と現在 浜林他訳
大月書店 2001
★ K.バード&M.J.シャーウイン オッペンハイマー 上・中・下
ハヤカワノンフィクション文庫 2024
★ ユダヤの歴史 鶴見太郎 中公新書 2025
-----以下は作成中-----
(続く)
5.大野浩平君の頑張り
東京に住む彼、今年何回も湯沢に来ました。私は4回、彼とお会いしました。私の仕事場で1回、同級生の3人と2回(with菊川、近藤、松田)、そして忠夫君の家で1回(with 白土、忠夫)でした。なぜそんなにこちらに来るのかといえば、彼自身が作ったシステム、一人暮らしの親を心配する遠くにいる子が、家の中での親の動向を見守る装置を作り、安価でこの湯沢に普及させたいという展望をもっているからでした。いろんな人に説明する機会をもったようです。市役所の部長、千人以上の会社を経営する社長(女)、などなどです。
73歳という年齢に負けないで、事業を推進しようとする、
その能力と気概に頭が下がるのです。
6.仙台で「キャッツ」をみた
当院職員7,8人で6月に「四季」のミュージカルを見に行きました。「Memory」とあらすじは何となく知っていたが、個人的には思ったより感動しませんでした。職員の皆さんにとっては、結構よかったらしいので、まずは行ってよかったです。
2,3年前は「エビータ」を見ました。まあ-----。次は「The Fantom of the Opera」を見たいな。
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